アブシンベル神殿の歴史

世界遺産として守られた歴史と壮大なプロジェクト
アブシンベル神殿とは?
アブシンベル神殿は、エジプト南部のヌビア地方に位置する壮麗な古代遺跡で、紀元前13世紀にラムセス2世によって建てられました。大きな岩を削り出して作られたこの神殿は、ラムセス2世自身と彼の妻ネフェルタリを称えるもので、その巨大な立像や精緻な彫刻が、古代エジプトの芸術と信仰の高さを物語っています。
世界遺産としての登録
アブシンベル神殿は、1987年にユネスコの世界遺産に登録され、その重要性と保存状態が世界的に認められました。しかし、この神殿が無事に今日まで存在することができたのには、予想もしなかった歴史的な出来事が関わっています。
神殿が直面した危機
1950年代後半、エジプト政府はナセルダム(アスワンダム)の建設を始め、これによってナイル川の水位が上昇しました。このダム建設により、アブシンベル神殿は水没の危機に直面しました。神殿が水に浸かると、保存されていた彫刻や壁画は損傷し、数千年の歴史が失われることになります。このままではアブシンベル神殿を救う手立てはなかったため、国際社会に対して保存活動の協力を求めることとなりました。
世界的な協力の始まり
1959年、エジプト政府はユネスコに協力を求め、世界中の技術者、考古学者、建設専門家たちが集まりました。国際的なキャンペーンが展開され、神殿の保存方法を検討した結果、「移動」という大胆な解決策が採用されました。アブシンベル神殿の移動は、その規模と技術的難易度から、20世紀の最も驚くべき保存プロジェクトの一つとして記憶されています。
神殿の分解と移動準備
神殿の移動には、まず神殿を慎重に分解する必要がありました。このプロセスは、神殿の構造が非常に精巧であるため、非常に細心の注意が求められました。専門家たちは神殿を小さなブロックに分割し、それぞれのブロックに番号をつけ、どこにどの部材が配置されていたのかを記録しました。これは、再建時に元の形に戻すために不可欠な作業でした。
アブシンベル神殿には、約1,000個の巨大なブロックがあり、最も重いものは約30トンに達するものもありました。これらのブロックは、全て精密に切り出され、移動可能な状態にしていきました。神殿を移動するための新しい場所として選ばれたのは、元の神殿から65メートルほど高い場所でした。
神殿の「再生」のための移動
移動作業のため、最先端の技術が導入されました。最も重要だったのは、神殿を安全に移動させるための「ジャッキアップ技術」です。この技術は、神殿全体を均等に持ち上げて、ブロックごとに分解しながらも、全体の重さを均等に分散させるための工夫が施されていました。神殿を支えるために使用されたジャッキやクレーン、そして水平方向に移動させるためのレールシステムなど、あらゆる手段が駆使されました。
移動には、約3年の歳月がかかりました。最初の段階では、神殿を水平に移動させるために1日のうち数ミリずつ前進させていくことが繰り返されました。神殿を数センチ単位で動かすことは、想像以上に高い技術力と緻密な計画を必要としました。
再建と元の位置を再現
神殿が新しい場所に安全に移動した後、次に行われたのは再建作業でした。これもまた、まさに精密な作業で、移動したブロックを元の位置に忠実に配置する必要がありました。再建作業では、古代の建築技術と同じ手法が再現され、できる限り元の姿に近い形で神殿を復元しました。壁画や彫刻も元の場所に戻され、徹底的に保存されました。
新しい神殿の位置は、元の場所から約200メートル移動し、65メートル高い場所に再建されたため、今でも昔のままの姿を保っています。また、移動後には太陽の光が神殿に差し込む位置も考慮され、毎年2回行われる「太陽の祭り」において、ラムセス2世の立像に太陽が正確に当たる瞬間が観察できるように設計されています。
世界遺産の意義
アブシンベル神殿の移動作業は、単なる保存活動にとどまらず、人類の歴史遺産を守るための世界的な協力と技術革新を象徴する出来事となりました。このプロジェクトは、その後の遺産保存活動においても多くの教訓を残し、世界遺産を守るための重要な基盤となりました。
現在、アブシンベル神殿は、訪れる観光客にとっても感動的な場所です。移動作業を知った上で訪れると、ただの遺跡を見る以上の深い意味を感じることができるでしょう。